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「吉原本宿」講座~水の恵みに育まれた吉原宿を訪ねて~(その2)


 ----------ウォッチングコース----------

10:00 集合(吉原本宿)高砂館跡経由で東海染工へ
   15  東海染工工場見学(富士の湧水が育みし産業は紙だけにあらず)
   45  陽徳寺(川に流れてどんぶらこ 救世主は漂流者)
   55  吉原宿・東木戸のくすりやさん(松栄堂薬局吉原本町駅前店)
       粥ケ渕(魚市場あとは天然冷蔵庫)
11:10  天神社(吉原宿の守り神様は水供給の起点!?)
   15  牛や(文明開化は舟運から) 和田川散策
   20  唯称寺(水神 かっぱとの邂逅)
   30 着(吉原本宿)大型紙芝居【河童にもらった茶壺】
       昼食 (本手打ち鯛屋のそば&うどん)


陽徳寺(駿河一国百地蔵尊の第91番札所)

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岳南鉄道 吉原本町駅隣にある陽徳寺は、身代わり地蔵さんとして地元の人々に親しまれ、こんなお話が伝えられています。

その昔、町に眼病が流行り、困った人々はお地蔵様に願掛けをしました。
するとたちまち病は治まりました。人々は喜んでお地蔵様にお礼に行くと、お地蔵様の目の周りには目やにがいっぱいついていたと言う事です。

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また、毎年7月23日と24日に開かれる、身代わり地蔵尊大祭では、新仏様や施餓鬼の供養。
そして地獄極楽を描いた大絵曼荼羅が開帳され、先祖供養や「悪いことをしてはいけない」と言う戒めを伝えています。

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ところで、陽徳寺さんと水はどう結び付くの?と思われる方もい居るかも知れませんね。
実は、身代わり地蔵さんは、むかし駿東郡青野村(現在の沼津市)の光明庵と言うお寺に祀られていましたが、ある年の大洪水で、元吉原宿付近まで流されてきたのを宿場の人が助け上げ陽徳寺に祀られたと言われています。
川に流れてどんぶらこ 救世主は漂流者 と言うわけですね。。。



粥ケ渕(魚市場あとは天然冷蔵庫)

吉原宿はもともとは海沿いに栄えた港町でした。ところが、二度の水害に遭い現在の場所に移転してきました。
粥ヶ渕は、ちょうど和田川と岳南鉄道が交差する辺りにあります。
昔は、魚市場などがあり、ここまで荷役の舟が入ってきて賑わったそうです。
以前、久保田さんの案内で初めてここに来たとき、大きな魚が群れて泳いでいるのを見てびっくり。さらにそれがボラだと聞いて、この川が海に注いでいることを実感しました。
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また、昔飢饉があったとき、対岸にある渡部家で大きな釜に粥を炊き人々に振舞ったことから、粥ヶ渕と呼ばれるようになったと聞きました。


天神社(吉原宿の守り神様は水供給の起点!?)

主 神
日子番能瓊瓊杵命(あめにぎしくににぎしあまつひこほのににぎのみこと)
配 神
木花之佐久夜毘賣命(このはなさくやひめのみこと)
菅原道真
配 祀
甲子神社(大国主命))
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天神社は、吉原宿の鬼門に建立され、宿場の総鎮守として祀られています。
皆が立っている橋の下には、池?堀?がありますが、むかしは、和田川の水を集めて宿場全体に水を供給する起点だったと言う事でした。
だとするとやっぱり堀かな。。。

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境内に置かれた道祖神は、単体伊豆型道祖神と呼ばれています。










天神社を後に和田川沿いを牛やに向けて散策。
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和田川は、吉原地区の中心街を流れ田子の浦港に注ぐ富士川水系の一級河川です。
一時期は、工場汚水や家庭排水で魚も住めない川になっていました。
しかし、工場排水が規制されてからは、地域の皆さんの努力で、今では魚が泳ぐ姿が見られるようになりました。
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晴天に恵まれた和田川散策風景
「吉原本宿」講座~水の恵みに育まれた吉原宿を訪ねて~(その2)_b0093221_045576.jpg良きにつけ悪しきにつけ、煙突はこのまちのシンボル。




 






牛や(文明開化は舟運から)

古い町屋の雰囲気から、牛やと聞けば文明開化の象徴牛鍋か牛丼のお店かと思いきや、実はこの界隈では有名なうなぎ屋さんでした。
でも、吉原宿の名物がうなぎだったことを思うと何となく納得。
ただ、お店のメニューに牛丼もあったようなので、創業当初はどちらがメインだったのかは定かではありません。。。

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粥ヶ渕を行き来する舟の船頭さんや、そこに集まる人達で賑わっていたと聞きます。
今もこの辺りに高級料理店が集まっているのはその名残なのでしょうか。
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残念なことに、後継者がいないと言う事でつい最近閉店されました。
傷んではいますが、壁伝いに巡らされた犬矢来など昔ながらの町屋の特徴を残すその佇まい。
できることなら、後世に残しておきたい風景です。


唯称寺(水神 かっぱとの邂逅)

お馴染みの「河童にもらった茶壺」の伝説があるお寺です。屋根の上には伝説にちなんだ河童が一対置かれていて、よく見ると口の形が阿吽になっています。
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「吉原本宿」講座~水の恵みに育まれた吉原宿を訪ねて~(その2)_b0093221_0575173.jpgカッパの恩返し 唯称寺(吉原本町2)の寺宝に「カッパにもらった茶壷」というのがあります。
 これは、唯称寺が中吉原宿にあったころの話で、当時は和田川にかけられた新橋(今の新橋でなく左富士神社の近く?)の上手のかわべにあったといわれています。

ある晩、和尚さんはカッパが白ひげのお爺さんになって現われた夢をみました。
 「和尚さん、私はこの下の三ッ股淵に住むカッパです。先日の洪水でマンガ(田をたがやすクワ)が流れてきて巣の入口にかかってしまい、私のこどもたちは出入することができなく、大変困っています。どうかマンガを取り除いてください」といいました。
 翌朝、和尚さんは半信半疑で三ッ股淵へ行ってみました。すると昨夜の夢のとおり、北側の土手の下にマンガが引かかっていました。和尚さんはこれだなと思い、苦労してやっと取り除いて帰りました。
 するとその晩またカッパの夢をみました。
 カッパは「和尚さんありがとうございました。これは私が去年、川の底で拾った茶壷です。お礼のしるしに置いていきます。また、今後唯称寺が火難水難にあわないようにしました」といいながら、ボラニ匹と茶壷を差し出し、うれしそうに帰りました。あくる朝、和尚が玄関に出てみると壷と魚が置いてありました。 それ以来、唯称寺は火事になったことがないそうです。【広報富士 ふるさとのでんせつ(鈴木富男稿)】より
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ほぼ時間通りに吉原本宿に戻り、久保田さんの名調子で河童伝説をもとにした大型紙芝居を見ました。
ちょうど東京からつけナポリタンを食べに来て、留守番をしてくれていたちかさんから、つけナポリタンのお店や、表富士・杉山フルーツさんや商店街の面白スポットなどを教えてもらい一回りしてきたと言うお客様がいらっしゃったので、紙芝居鑑賞にお誘いしたところ、とても喜んで下さり、「迷っていたけど、富士味噌焼きそばも食べて帰ります。あ、お土産にCドルフィンさんのロールケーキも!!」と。。。吉原ファン1名様Getです!!
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昼食は、本手打ち鯛屋さんのざるそばです。
若旦那のそば打ち、本当に上手くなりました!!
最近では、若旦那のそばを気に入って、小田原から毎月食べに来られるお客様もいるほど。
皆さんも、「吉原本宿」講座と若旦那のそばを一緒に楽しんでみませんか?


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 ナポリンのつけナポリタン情報!! 
2010年6月19日現在 の最新情報はこちらから!


◎taitanの「つけタン提供店マップ」
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by h-kaguya | 2010-10-21 09:48 | ★『吉原宿』旅は道連れ | Trackback | Comments(0)

富士つけナポリタンのまち 富士市吉原で、まちづくり応援。


by かぐや