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そのとき歴史は動いた 由比「望嶽亭」

かねてより鯛屋旅館の旦那さんから「山岡鉄舟や清水次郎長の説明をするときの参考になるから、一度行くといいですよ。」と勧められていた由比の「望嶽亭」。
なかなかその機会を作れずにいたところ、旦那さんから「近々、行こうと思うのですが、かぐやさんの都合に合わせますから、一緒にいかがですか?」とのお誘いがあり、7月2日、休日を利用してご一緒させていただきました。。
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心配していたお天気も、梅雨空ではありましたが降られることもなく、望嶽亭の手前約2キロの間所々に残る古い家並みを見ながら歩きました。そこには、工業の町として変貌を遂げてきた富士市とは違い、ゆっくりと時が流れているような気がしました。
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江戸時代、茶亭藤屋の離れ座敷からの富士山の眺望が絶景であったことから名づけられた「望嶽亭」は、薩堹峠東口に在り、由比と興津との間の宿として栄え、多くの文人客が立ち寄ったと言われています。生憎この日は、富士山を見ることはできませんでしたが、松永家23代目主夫人松永さだよさんから、今から140年前、官軍に追われた山岡鉄舟(江戸城無血開城の立役者)を匿い、清水次郎長宛に添え書きを書き、密の階段から逃がしたと言う歴史的一夜の話を伺うことができました。
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そのとき歴史は動いた 由比「望嶽亭」_b0093221_45587.jpg表の間には、富士市民には「富士の緑茶」でお馴染みの
23代目当主・故宝蔵氏の残した
「東海道は日本晴れ」の自筆の原画が飾られています。
そしてその奥には、今も尚、黒々と輝く黒漆の廊下と
山岡鉄舟を匿い逃したと言われる、厚さ20センチも有る重厚な
扉で仕切られた蔵座敷へと繋がっています。

そこには、官軍の兵たちが鉄舟を見つけ出すことができなかった
腹いせに、木戸に残していった刀の突き傷や、山岡鉄舟が残して
いったというフランス製10連発の拳銃。
白隠禅師の扁額・俳人の柱掛・明治時代の茶器や長持などが、当時を物語るように置かれており、そこだけ空気の重さが違うような不思議な感覚がしました。
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それはきっと、鉄舟をにがしたと言われる地下に通じる秘密の階段から吹き上げてくる
風のせいかも知れません。
もしこの階段がなかったら、もし亭主の機転で鉄舟が無事逃げることができなかったら・・・。

「この階段は【意思を持った階段】と呼ばれています。」と、蔵座敷の窓に腰かけ、望嶽亭の歴史を語り継ぐ、さだよ夫人の背中には、陰ながら近代日本の歴史を動かしたと言う大きな自負と、強い命感が感じられました。
Commented by pachirag at 2008-08-10 20:53
だいぶ前の記事に失礼します、ぱきらです。
由比宿は、落ち着いていてとっても素敵な町並みですね。
この道幅が好きです♪

望嶽亭は、東海道歩きで訪れたときは立ち寄りそびれてしまったのですが、
今年のお正月に改めて見学に行きました。お正月の集まりの準備で
お忙しい中、ご丁寧に案内していただきました。歴史の舞台になった
場所が、町ごと保存されているかのようで、感動しました~。
Commented by h-kaguya at 2008-08-12 00:29
この道幅が好きです♪<同感です!!

こんな仕事をしているのに、実は殆ど東海道を歩いたことがなくて・・・
これから時間を作って歩きたいなと思っています。


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by h-kaguya | 2008-07-13 00:05 | ★『吉原宿』旅は道連れ | Trackback | Comments(2)

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